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富樫雅彦が、流行りの極細黒ズボンにサイドを
ぴったり固めたリーゼントスタイルの髪型、
サングラスといういでたちで新宿歌舞伎町の
ライブハウス『タロー』にふらりと現われたのは、
1968年秋だった。   (佐藤允彦のライナーノーツから)

 それを見聞きした人から内容を聞き、見逃したじぶんが大いに悔やまれるというテ レビ番組はそうそう多くはない。しかし、NHKアーカイブスのプログラムに関して はその後悔率が高い。なんでも若き日の笠井紀美子の肖像が放映された回があったそ うで、笠井のアルバム『イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー』から総てが始まっ たジャズ小僧としては地団太踏んだものだ。かようにジャズ関連のドキュメンタリー 映像は少ないし、日本のジャズに関してはライヴ映像でさえ市販品は数えるほどしか 存在しない。

 ゆえに富樫雅彦+佐藤允彦のDVD作品『コントラスト』を初めて観た時の感動は 忘れがたいが、もし、いまだ一度も富樫や佐藤の作品に触れたコトがなく、「どの作 品から触れたらいいものやら…」と入口で逡巡している方がいるならば是非、何も構 えずにこの1本から鑑賞してほしいと思う。1時間に渡る至宝級の演奏(2002年3月16 日:紀尾井ホールにて収録)は当然のコト、富樫邸で打ち合わせをする二人の姿を捉 えた冒頭のシーンは貴重だ。日本のフリージャズ草創期を述懐しながら富樫は笑顔で こう語る。「明けても暮れてもとにかく、楽器の前に座ったらスイングしなければい けないという条件があるコト自体、生きものとして嫌だったんだよ」、と──この一 言のインパクト!

 富樫雅彦の音楽に相対する時に伴う、いわく言いがたい独特の緊張感。その音楽を 言葉で追い、途中で諦め、思考の迷路で戸惑った際にふと気づく断念の心地良さ。規 範を生理的に拒絶し、生きものとして抗った富樫の音楽が創造し提示する想い(空 間)こそが「これか!」と気づかされた瞬間の開放感、陶酔感、緊張の地平に広がる 弛緩の快楽…。

 事実、富樫の音楽は言葉の虚しさを認知し、構えの鎧を脱ぎ捨てた瞬間から、聴く 者それぞれに自由な情景や色彩、追想や胸中の呟き、活力や内省の猶予を与えてくれ る。眼を開けばそこには、二人のジャズメンが奏でる友情と年輪と意志力と持続力の 総べてを集約した“新しい”音色が羊水のように広がっている。じぶんが生きもので あるコトを改めて知らされる。飼っていた金魚が死んだ少年期、祖母の命で埋葬を行 なった姉弟の想い出に触れ、向田邦子の実弟は綴っている。<昔の人は、生き物が死 ぬと、子どもに始末をさせ、それが一つのしつけになっていたようだ。>(向田保雄 著『姉貴の尻尾』より)──今、生きているというコトの実感。富樫の音楽が教えて くれるコトもまさにそれだろう。

 5曲目の<Waltz Step>は、富樫が前足を持って遊ぶ際の愛犬クマ(1996年没)が 生前、喜んでワルツを踊っていた情景を曲にしたもの。歩行困難な音楽家が、愛犬の 無邪気さに寄せた想いが染みてくる名作だ。クマは飼い主の化身だったのかもしれな い。
EWSA-0056 ¥3,990(税込)

EWDV-0056 ¥5,000(税込)


CONTRAST
富樫雅彦・佐藤允彦
富樫雅彦(perc)
佐藤允彦(p)

01. Little Star 02. The Arch 03. I Spoke To The Star Last Night 04. Waltz Step 05. Iberian Sunset 06. Scrollin' 07. Song For Domingo

2002年3月16日、紀尾井ホールにてライヴ収録。
富樫・佐藤の研ぎ澄まされた演奏による一夜のドキュメンタリー。

日本ジャズ史に燦然と輝き続ける二人の歩み、そして歴史が、また新たに発火した。これを聴かずしてジャズを語るなかれ! SACD[multi-2ch]&CDのハイブリッド・ディスク。「『お互い人生二周目に入ったことだし、フリーもそれなりに進歩したし、このあたりでひとつ残してみるか』と話していたのがコンサートとなり、録音まで出来てしまったのはまことに喜ばしい」(佐藤充彦)。さらに感動の一夜を映像記録したDVD版も必見である!
互いに異なる領域で活動するようになった後も、
しばしば共演する機会を持ち続けてきたのは、
ある一点で30年以上いささかも変わらない考え方を
共有するからだ。   (佐藤允彦のライナーノーツから)


 菜の花の薫る今年(2004年)4月2日、九大名誉教授の白水 隆は86年の生涯を閉 じた。
「チョウの神様」と呼ばれた彼の存在は朝日新聞夕刊の惜別欄で初めて知った。日 本のチョウ学を世界最高級にまで高めた功労者は81年の退官後、高校の生物部の冊子 まで網羅し、日本のチョウの文献をまとめる作業に没頭したという。周囲は「もっと 学者らしい研究を…」と勧めたが、柏原精一記者の記述によれば「たくさんの人に教 えられてきた。それを整理してお返しするのが最優先の仕事」と本人には馬耳東風 だったらしい。

 富樫雅彦をめぐる本連載を始めて以来、自然と“蝶”を意識してしまう。松たか子 のお茶のCMを観てても、頭上に舞う蝶々に眼がいってしまう。富樫が無類の蝶マニ アである(あった?)コトは知る人ぞ知る、天才打楽器奏者の一面だ。

今から凡そ20年前に上梓された単行本『ジャズの事典』(冬樹社・1983年刊)に、 はせ・はつせの署名で「うらばなし・日本のジャズマンたち」という紳士録ふうの記 事が寄稿されている。富樫の蝶好きに触れ、<彼の弟子になろうと思ったら、蝶採集 の技術を持たなければならない>と半ばユーモラスに綴られている。

 やはり蝶マニアのジョー水木(ds)にある日、稀少なブラジル産モルホ蝶の標本が ファンから贈られた。が、その額を同乗させて仕事先へ向かう途上、水木の前の車が 横転し、彼も事故に巻き込まれる。幸い水木も標本も無傷で済んだらしいが、その噂 に魅せられたのが富樫。譲渡を請われた水木から富樫の手に手渡された数日後、例の 不幸な事故に見舞われた…同記事は<モルホ蝶の呪いだ! 皆は噂した。気味悪く なった富樫は蝶を手離した>と綴っている。あまり縁起のよい秘話ではないけれど も、当時の斯界の空気をリアルに伝える記述であるコトは間違いない。

しかし、富樫と蝶の関係に関する表現としては内田 修著『ジャズが若かったころ』 (晶文社・1984年刊)の、次の箇所が大好きだ。富樫が不幸に見舞われる以前も以降 も親身に見守ってきたDr.Jazzは、書簡形式で綴った「トガシ少年が笑顔をとり戻し た日」という章でこう書いている。<君があんなに蝶を愛し、自然を愛してるなんて どれ位の人が知ってるのかな? 勿論、最近の君の作品を愛する方なら分かっておら れるだろうけど。でも、リサイタルの時、君の頭の上で蝶が舞ってたり、レコード ジャケットに蝶の絵があるのを気づいた人は何人位かしら>。

そして前掲の『ジャズの事典』に寄せた文章のなかでも内田 修は書いている。富樫 17歳時の邂逅から20年、<今なお自然を愛し、蝶を追い、そして「トミー・ドーシー のレコードをコピイして下さい」などと甘えてくる彼は、少年の心を決して失っては いない>、と。

冒頭で紹介した白水教授は「大好きな道で飯が食えたんだから、これ以上の贅沢はい わん」と明言していたという。人生の二周目に入った朋友同士の共演記録 『CONTRAST』を鑑賞していると、チョウの神様の言葉がそのまま富樫+佐藤の表情と ダブる。永田耕衣の<揚羽よりいつも近づき来るなり>という句も、どこか彼らの音 楽と二重露光に思えてくるから不思議だ。
富樫雅彦は1970年代から曲作りをはじめた。
2002年までのあいだに書いた作品は、膨大な数にのぼる。  (佐藤允彦のライナーノーツから)

 発売中のダ・ヴィンチ誌の特集、「迷ったら松田優作に戻る」というタイトルを書 店で見て、共感と同時に男たちの戻り場所の狭さを感じた。翌週のアエラ誌を購入し たら、「オンナが惚れる凛とした女」と題し、向田邦子・須賀敦子・白州正子・鈴木 真砂女・宇野千代の魅力を追っていた。いずれも故人だが、岡部伊都子という生きる 見本もいるし、先日『夏の栞―中野重治を送る』を読んで深い感銘を受けた佐多稲子 だって、その系譜に加えられていいと思う。

要は負け犬であれ、子持ち既婚者であれ、女性たちの生き方の教科書的存在、その戻 り場所は選択肢が広いのだ。近年、中上健次再読を除き、上記の女性陣の文献ばかり を読んできたじぶんは苦笑を禁じえなかった。

 では、翻って耳の世界はどうだろうか。ビートルズやマイルス、サム・クックや武 満など“殿堂入り”した故人らの偉業はべつとして、この時代を生きる困難さに直面 した時、今様消費音楽には組みできない耳たちはいったいどこへ戻ればいいのだろ う。癒しの押し売りではなく、上級者限定でもなく、降っても晴れても聴けて、しか も聴く者の体調を問わずに深く染みてくる音楽はないものか…そう思われている方に 推奨したいのが、佐藤允彦の弾く富樫雅彦の作品集である。

富樫の作品がなぜ…と首を傾げる方も少なくないだろう。富樫独自の厳粛な響き、空 気を震わせる玄妙さ、緊張の持続を強いる即興性を知る方ほど、そう思われるに違い ない。が、かつて一過性にせよ富樫雅彦の音楽世界に耽溺した人ならば、緊張の雲間 から覗く彼のロマンチシズムもまた、ご存知だろう。

 奏者自身がライナーノーツで綴っているとおり、『佐藤允彦 プレイズ 富樫雅彦』 は<メロディーメーカーとしての富樫雅彦の存在をもっと広く世に知らしめるべきで はないか>との思いから編まれた作品集だ。佐藤の表現を借りれば、<演奏者に高度 な技量をもとめるフリー・インプロヴァイズのためのモティーフなどにまじって、心 あたたまるメロディーを持ったバラードもたくさん含まれる>富樫作品の、もう一方 の側面に焦点を当てたソロ・ピアノ集である。言い方を変えるならば、これは理屈や 理論を標榜するコトなく、同時代を生きる志を何よりも音楽で共鳴・共振させてきた 二人の「友情」を刻んだ一枚とも表わせるだろう。

 録音に際しては<オリジナルの姿をできるかぎり忠実に弾くことを第一に>考えた という佐藤の調べはひたすら美しく、全編上質な映画音楽を連想させる富樫作品の本 質を炙り出している。待望の第二弾もリリースされ、今回の佐藤はfender rhodesと celestaにも十指を走らせている。ひらめきが冴え渡る原稿執筆の最中など、思考の 回路を切断しないBGM選びに悩む一瞬があるが、最近は迷わずこの二枚に戻る。思 考の潤滑油としても最適な作品集である。
EWSA-0093 ¥3,000(税込)
SATOH Masahiko plays TOGASHI Masahiko #2
佐藤允彦プレイズ富樫雅彦 #2

富樫雅彦の尽きることのない創作意欲を、佐藤允彦が結実させる。
二人のMASAHIKOが繰り出す渾身の12曲。
01. I'll Sing For My Friends 02. Sometimes I Feel Lonely 03. Orange 04. I Saw The Midnight Star 05. Everlasting Friendship 06. Dancing In The Dream 07. I Say Cheer Up 08. Twinkling Star 09. Where Am I Going ? 10. The Star Of Al-Alarf 11. Fake Blues 12. The Past Is Beautiful After All

佐藤允彦(piano,fender rhodes,celesta) 
EWSA-0075 ¥3,000(税込)
佐藤允彦 プレイズ 富樫雅彦
佐藤允彦

ドン・チェリーにインスパイアされた“スピリチュアル・ネイチャー”をはじめ、富樫雅彦の美しいバラードを佐藤充彦のピアノが奏でる。

01.My Wonderful Life 02.Memories 03.Waltz Step 04.Valencia  05.May Breeze 06.Reminisce-'63 07.Song For Domingo 08.Little Star  09.Rumba Of May 10.Little Eyes 11.Spiritual Nature 12.Till We Meet Again

佐藤允彦(p)
病床から毎日同じ景色を眺めている彼の無聊を慰めるために、
月に一度は出かけて行くことにしているのだが、
そのたびに新曲が出来上がっているのに驚かされる。  (佐藤允彦のライナーノーツから)

 七夕前日の夕暮れ、小四の娘と久方ぶりに泳ぎに行った。ゴミ焼却場の一階に位置 する温水プールは思いの外、空いていた。大人用の最も深い箇所でも背伸びすれば立 てるようになった娘は、「平泳ぎを教えてほしい」とせがんだ。家計の事情で数年 前、スイミング・スクールを中途で辞めた彼女は、平泳ぎを習得せぬまま十歳を迎え たのだ…そんなことを思いながら泳法を伝授した。

蛙の泳ぎをくり返す娘を矯正しながら、何度かプールを往復した。時折戸外を通過し てゆく私鉄の轟音を耳にしながら、青い水底を愛でて泳ぐ。娘を同伴してても身に纏 わりつく心地よい寂寥感を掻き分ける。耳奥で佐藤允彦の弾く<Sometimes I Feel Lonely>の音色が響くのは、そんな日常のなにげない瞬間だ。

 翌週、本屋で中上紀の新刊『夢の船旅・父中上健次と熊野』を目にして買った。 「海の記憶」という章にこんな記述を見つけた。<ある日、海で父は私の両手を持 ち、バタ足の練習をさせた。水は私でも十分に足が届く深さだった。だから私を一人 で浮かせてみようと思ったのか、ふと、父は繋いでいた手を放した>。父娘の情景を 脳裏に思い描くと、行間から佐藤の弾くフェンダー・ローズの旋律が立ち上ってき た。

フェンダー・ローズの音色が夏に似合うのはなぜだろうか。『SATOH Masahiko plays TOGASHI Masahiko #2』のライナーノーツで確認すると、前掲の曲を富樫が書いたの は昨年の七月三日。七夕の近い日、病床にある富樫はこんな想いで同曲を書き下ろし たという。<誰も訪ねてこない日が続くと淋しい。やはり東京に住んでいれば良かっ たかな、と思ったりする。昔のフェンダー・ローズの音色は今でも好きだ>。

初春に佐藤允彦を取材した折、『#2』の発売を待ち望んでいると口にしたら、「今回 は富樫さんの希望でフェンダー・ローズを弾いた」と教えてくれた。もう1曲、佐藤 がローズを奏でた新作<Twinkling Star>について、富樫自身は<悲しい時に悲しい 曲を書くと、すぐ星にたとえて考えてしまう>とコメントしている。いかにも彼らし い感慨だが、『#2』には友、孤独、星、愛犬、夢…など、富樫雅彦による富樫雅彦ら しいキーワードが自然体で散りばめられ、それを佐藤の十指が真摯に解釈し、作者の 想いを忠実に再現している。

佐藤の解説を借りれば<富樫雅彦の創作力はいささかも衰えていない。むしろ一層磨 きがかかったように思える>し、それが実感できる一枚である。フェンダー・ローズ への愛着と魅力は、作家・奥泉光が朝日新聞夕刊(6月4日付)の連載コラムで書い ていたし、bounce誌7月号の連載「楽園楽器店」も特集している。音色の涼しさが夏 向きなのか…。
富樫雅彦作品集 富樫雅彦追悼ページ